スポンサーリンク

暗譜の必要性①

前記事ピアノ弾きはなぜ暗譜で演奏しなければならないのかにおいて、慣習的な暗譜の必要性について述べました。

慣習的な暗譜の必要性に従い暗譜する事に対してとてもプレッシャーに感じる人も多いのではないでしょうか。筆者自身も以前は慣習と自身のプライドによって暗譜をしていました。しかし過去に2度、暗譜が出来なくなってしまった経験があります。

一度目は、数年間室内楽ばかりを演奏していた頃のことです。楽譜を見ながら弾く安心感とアンサンブルの楽しさに感けてしまい、暗譜することから遠ざかってしまっていました。そしていざソロ演奏をしなければならない時にアンサンブルと同じ距離感で取り組んでしまい道を見失ってしまいました

その後、弟子を育てる機会を頂き、自身がソロを弾けていなければ仕事にならないことから、ソロ演奏をもう一度取り組みなおしまそた。練習を積みリサイタルを何本かこなすことで暗譜することを思い出していましたが、まだ違和感を持ちながらの暗譜でした。

そして2度目は、その取り組みから5年程がたったころ大きなストレスを受けることがあり、全く覚えられなくなってしまいました。何をどうやっても暗譜ができないのです。…正確には実際は暗譜で弾けているのに、自分自身に覚えているという感覚が全くないのです。それでも弾かなければならないというプレッシャーでより悪循環に陥り、途方にくれてしまっていました。頭の中の記憶装置がザルのようで、入れても入れても漏れていくという感覚でした。

精神的な回復を待たなければならないという時間的な条件はともかく、以前からうっすら感じていた違和感…なにか根本的に暗譜に対して改善しなければならないことがあるのではないか感じました。しばらくコンサートを休み模索する時間を持つことにしたのです。

そして失敗しても良い場を作り、新たな曲を譜読みしては暗譜をするということを何度も繰り返しました。そうしていくうちに自分が暗譜している感覚と、どうやって暗譜しているのかが整理がつき、そして演奏や暗譜に対する考え方が変えていくことができたのは大きな収穫でした。

そして、なぜピアノ弾き…に限らずですが、なぜ暗譜が必要なのかということがようやくわかり始めたのです。

NEXT ⇒ 暗譜の必要性②